Fleet Foxes『Shore』

 

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デビュー作『Fleet Foxes』や続く『Helplessness Blues』のキーワードだった寓話性や清貧さ、それらはすっかり後退している。代わりに前面に出ているのは、ソングライターとしてのロビン・ペックノールドのルーツである60~70年代のシンフォニックなポップ・ミュージックとその作家たちへの果てしない愛情と敬意だろう。インタビューでも言及している通り、これまで意図的に避けられてきた具体的な引用がリリックのあちこちに埋め込まれている。

前作『Crack-Up』は6年間もの沈黙を破った作品であり、概ね好評をもって迎えられたわけだが、本人の言葉を借りれば「求めたよりも曖昧」だったことも確かだ。入り組んだ複雑な組曲形式や、一聴しただけではとても理解しきれないほど繊細で複雑なストリングスアレンジ。圧倒的な完成度を誇ってはいるものの、ジャケットに使用されている東尋坊や5曲目のタイトルになった大台ケ原のような超然とした大地が屹立しているがごとく、親しみやすさや分かりやすさとは無縁の作品だった。これからどのように歩みを進めるか想像することさえ難しく、ゆっくりと行き止まりに向かっているかのような閉塞感がうっすらと漂っていた。


ところが本作は、ブラッドフォード・コックスが焼け落ちた部屋の壁を破って『Fading Frontier』でたどり着いた海にも通ずる、驚くほど穏やかなフィーリングに満ちている。ペックノールドが行き着いた岸辺(shore)が「消えかけの境界」と題されたディアハンターにとっての海原と異なるのは、前に進んでいくことへの決意表明の場であるということだ。自分を育んでくれた豊かな音楽の歴史を継承し、少しでも前に進めるために努めること。いまここではないどこかを目指して彷徨うのではなく、いまここから、未来へと歩みだすこと。そんなことへの静かな決意に満ちている。同時に『Shore』は死についてのレコードでもある。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっている現状やサーフィン中に溺れかけた体験、デヴィット・バーマンの自殺といった出来事を通してペックノールドが目指したのは、死に向き合いながら生を祝福することだという。リリースの際に公式発表されたステイトメントから引用してみよう。

 

I WANTED TO MAKE AN ALBUM THAT CELEBRATED LIFE IN THE FACE OF DEATH, HONORING OUR LOST MUSICAL HEROES EXPLICITLY IN THE LYRICS AND CARRYING THEM WITH ME MUSICALLY, COMMITTING TO LIVING FULLY AND VIBRANTLY IN A WAY THEY NO LONGER CAN, IN A WAY THEY MAYBE COULDN’T EVEN WHEN THEY WERE WITH US, DESPITE THE JOY THEY BROUGHT TO SO MANY.

死に向き合いながら生命を祝福するアルバムを作りたかった。はっきりリリックの中で失われたヒーローを讃え、音楽的にも彼らを自分の中に留めて。彼らにはもう叶わない、充実して、活気に満ちた生を全うする。彼らが、大きな喜びをもたらしてくれたにも関わらず、我々といた時には出来なかったやり方で。

  I WANTED TO MAKE AN ALBUM THAT FELT LIKE A RELIEF, LIKE YOUR TOES FINALLY TOUCHING SAND AFTER BEING CAUGHT IN A RIP CURRENT. I WANTED THE ALBUM TO EXIST IN A LIMINAL SPACE OUTSIDE OF TIME, INHABITING BOTH THE FUTURE AND THE PAST, ACCESSING SOMETHING SPIRITUAL OR PERSONAL THAT IS UNTOUCHABLE BY WHATEVER THE STATE OF THE WORLD MAY BE AT A GIVEN MOMENT, WHATEVER OUR SEASON.

離岸流に捕まったあと、やっと足先で砂に触れた時のような、安堵を感じられるアルバムにしたかった。時間の外側の、過渡的な空間に存在していて、未来と過去の両方に根ざしたアルバムに。精神的、もしくは身体的な、ある時点での世界の情勢や我々の時節がどうだろうと手の届かないものに接近したかったんだ。

 

今やシグネイチャーとなった突き抜けるようなリヴァーブ処理の施された折り重なるコーラスワーク、控えめな金物とふくよかに跳ねるスネアドラムなどのサウンドにおける基盤はそのままに、後半に多く散りばめられたオリエンタリズム的意匠やさらに表現の幅を広げた本人のボーカリゼーションといった点で音楽的探究の成果は結実していると言っていいだろう。そして「Going-to-the-Sun Road」でブラジル人ミュージシャンがポルトガル語による歌唱で参加していることを例に挙げるまでもなく、新旧世界中の音楽がとても理解しきれないほどハイコンテクストに、そして鮮やかに交錯している。しかし「鍵となる教えや概念だけを取り出し、違う形に応用する」と語っているように、単にひけらかすことは決してしない。パンデミックとそれに継ぐロックダウンという最も2020年的な出来事をきっかけに完成されたのは、皮肉にも時代性の外側で穏やかに佇むようなレコードだった。ペックノールドは、歩みを止めない。

 

Shore

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