Lorde – Solar Power  和訳&感想

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overripe peaches””Acid green, aquamarine”といった色の表現がとても効いている。ギターやベースにほのかにかけられたコーラスと相まって、瑞々しい情景が浮かぶ。あたたかい日の光に手を引かれて、砂浜へと向かう。絶えず通知を知らせる携帯電話も、靴もマスクも、ぜんぶ脱ぎ捨てる。ありのままの姿と、まったく新鮮な気持ちで。頬が赤らむのを微かに感じながら、振り返れば恋人がカメラを構えていて、誰もわたしに追いつくことなんてできない。わたしの季節がはじまる。


ほとんどゴスペル的なコーラスや”pretier jesus”に自分を例え砂浜に集まった男女に”bliss”を授ける様子は、実に清廉で宗教的だ。Geniusでは”ロードは、神の子というより、むしろ太陽神と等しい”と言及されている。これまでの作品でもキリスト教的信仰とはやや異なる印象の宗教的モチーフが用いられており、来たるフルアルバムを紐解く重要な視点の一つになりそうだ。

 

 

I hate the winter, can't stand the cold

I tend to cancel all the plans (So sorry, I can't make it)

But when the heat comes, something takes a hold

Can I kick it? Yeah, I can

冬なんて大嫌い、寒さに耐えられないから
予定も全部断っちゃうし(ごめんね、行けなくて)
でも熱気を感じると、なんだか落ち着いてくる
始めていいよね? もちろん

 

[Pre-Chorus]

My cheeks in high colour, overripe peaches

No shirt, no shoes, only my features

My boy behind me, he's taking pictures

Lead the boys and girls onto the beaches

Come one, come all, I'll tell you my secrets

I'm kinda like a prettier Jesus

熟れすぎた桃みたいに頬が赤らむ
シャツも靴も脱いで、ありのままで
振り返ると彼がいて、写真を撮ってる
男の子と女の子を引き連れてビーチに
こっちへおいで、秘密を教えてあげる
わたし、太陽神みたいね

 

[Chorus]

Forget all of thе tears that you've cried

It's ovеr (Over, over, over, over)

It's a new state of mind

Are you coming, my baby?

流した涙はぜんぶ忘れて もう終わり
あたらしい気持ちで
こっちに来る?

 

[Verse 2]

Acid green, aquamarine

The girls are dancing in the sand

And I throw my cellular device in the water

Can you reach me? No, you can't (Aha)

アシッドグリーンと、マリンブルー
彼女たちは砂の上で踊っていて
携帯電話は海の中に投げ捨てて
わたしに追いつけそう?


 

[Chorus]

Turn it on in a new kind of bright

It's solar (Solar, solar, solar, solar)

Come on and let the bliss begin

Blink three times when you feel it kicking in

あたらしい光に目を向けて
それは陽の光
こっちで至福をはじめよう
効力を感じたら、三回瞬きしてね




The 1975『Notes On A Conditional Form』

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 まとまりのない、アルバムだ。でもそれは、マッティなりの誠実さなのかもしれない。「お前に俺を愛する権利なんかない」。2015年、ツアー中のボストンでのギグの最中に彼は、愛してる!と叫んだ女性にそう返した。この発言は様々な形でメディアに取り上げられることになるが、のちにマッティはファンについてこのようにも語っている。

 

“I love our fans so much because in order to be a proper fan of this band, you need to really get me. You need to understand me, or give me the benefit of the doubt.”

”ファンのことはとても愛してるよ。だって、このバンドの真のファンになるには、真の理解者である必要があるから。君らは僕のことを理解する必要がある。それか、とりあえず信じてみるかね。

 

要するに彼は、ポップ・スターとして愛されても構わないけれども、それなら自分のことを全部理解してほしい―そんな面倒なエゴを抱えた男なのだ。そしてそれは同時に、安易で一面的な共感がつくるコミュニティを良しとしない、彼なりの真摯さの表れでもある。

 

 前作『A Brief Inquiry into Online Relationships』と本作は「ミュージック・フォー・カーズ」期と名付けられた時期についての二部作だそうだが、ここでも彼は、いくつものペルソナを使い分けている。

 「目を覚ませ!月曜の朝だ!あと千回しか残ってないんだぞ!」出来の悪いマリリン・マンソンのコスプレに身を包んでがなり立てる「People」。一転して、舞台はベッドルームに移る。ベースミュージック風味のガラージュ・ビートの隙間でささやくように、今も不安に苛まれる胸の内を曝してみせる。

 

Go outside?
Seems unlikely
I'm sorry that I missed your call (Missed your call)
I watched it ring (Ring)
"Don't waste their time"
I've always got a (Frail state of mind) 

外に出ろって?
無理そうだな
電話、出られなくてごめん
鳴ってるのは分かってた
”やつらの時間を無駄にするな”
いつだってこんな感じ

 

 "Oh, boy, don't cry"
I'm sorry, but I
I always get this way sometimes (Way sometimes)
Oh, I'll just leave
I'll save you time
I'm sorry 'bout my (Frail state of mind)

ああ、泣かないでよ
ごめん、僕は
いつだってこうなんだ、たぶんね
もう行くよ
君らの時間がもったいない
こんなに脆い心でごめん

 

「自分の心の脆さで他人を退屈させたくない」とまで歌われる「Frail State Of Mind」に続いて、ディズニー映画のようなストリングスとともに陽が差し始める。しかしすぐに、そこが仮想空間だと気付くだろう。フリースタイルラップならぬフリースタイル・オルタナカントリーとでも形容したくなるような、ラップとメロディの間を行き来するヴォーカリゼーション。登ってゆくルートの円環やリズムパターからも明らかにラップミュージックの影響が感じられるが、コーラスもフックもないままストーリーが語られてゆく。「シンシナティのマッティという友人」について退屈な会話を繰り広げた主人公は、結局クリーンでいるためには「(おそらくヴァーチャルの)友人たち」に依存してしまっていることを吐露する。

 

 

 「The Birthday Party」のオルタナカントリーに限らず、意図的に様々なジャンルが配置されている点が本作の大きな特徴の一つだ(そして支離滅裂さをもたらしている)。「Then Because She Goes」のシューゲイザー的なギターワーク、「Me and You Together Song」で見られる実に記号的なネオアコギターポップ、「If You're Too Shy」でのタチの悪いパロディのような80年代スタジアムロック。どれもが自虐的に思えるほどパロディチックで、ともすればU2やコールドプレイといった系譜の上にこのバンドを位置付けかねない。しかしこれは欺瞞ではなく、マッティやメンバーの自己言及的な態度や精神の分裂を表現していると同時に、誠実な自己開示—2nd『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful yet So Unaware of It』で彼らが煌びやかなファンク・ポップの隙間にわざわざ冗長な大作アンビエントを収録したように—と受け取るべきだろう。このレコードでマッティは支離滅裂で、時に偽悪的に振る舞い、何かに依存し、時にアイデンティティを見失う、弱い自分を開示すると同時にそれらを肯定している。彼がそうであるように、あなたも多面的で、変化し続けていて、時には矛盾することもあるカオスを抱えているはずだ。気候変動問題、メンタルヘルス、グラデーションするセクシュアリティ、オンライン上での逢瀬、といったテーマを正面から扱う極めて2020年代的なレコードであると同時に、それらを抱える個人についてのパーソナルな作品でもある。

 


 本作、すなわち「ミュージック・フォー・カーズ」期と名付けられる青春時代は、メンバーへの愛と感謝を赤裸々に歌った「Guys」で締めくくられる。「特にロックミュージック界の普通の男たちは、自分の仲間をどんなに愛してるとか、もし一緒にやってなかったら今の自分たちはない、しかもつまらなくて完全に無意味だってことなんかを曲にしたがらないよね。」 過酷なワールドツアーのオフショットで構成されるMV。やがて現在に戻り、カメラを構えてこちらをじっと見つめるモノクロームの彼の姿が映し出される。ここまで内向きだった視線はここで初めてあなたに向かう。「君はどう?」22曲80分にも及ぶ痛々しい内的探索を目撃したあなたは、彼を愛さずにはいられないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fleet Foxes『Shore』

 

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デビュー作『Fleet Foxes』や続く『Helplessness Blues』のキーワードだった寓話性や清貧さ、それらはすっかり後退している。代わりに前面に出ているのは、ソングライターとしてのロビン・ペックノールドのルーツである60~70年代のシンフォニックなポップ・ミュージックとその作家たちへの果てしない愛情と敬意だろう。インタビューでも言及している通り、これまで意図的に避けられてきた具体的な引用がリリックのあちこちに埋め込まれている。

前作『Crack-Up』は6年間もの沈黙を破った作品であり、概ね好評をもって迎えられたわけだが、本人の言葉を借りれば「求めたよりも曖昧」だったことも確かだ。入り組んだ複雑な組曲形式や、一聴しただけではとても理解しきれないほど繊細で複雑なストリングスアレンジ。圧倒的な完成度を誇ってはいるものの、ジャケットに使用されている東尋坊や5曲目のタイトルになった大台ケ原のような超然とした大地が屹立しているがごとく、親しみやすさや分かりやすさとは無縁の作品だった。これからどのように歩みを進めるか想像することさえ難しく、ゆっくりと行き止まりに向かっているかのような閉塞感がうっすらと漂っていた。


ところが本作は、ブラッドフォード・コックスが焼け落ちた部屋の壁を破って『Fading Frontier』でたどり着いた海にも通ずる、驚くほど穏やかなフィーリングに満ちている。ペックノールドが行き着いた岸辺(shore)が「消えかけの境界」と題されたディアハンターにとっての海原と異なるのは、前に進んでいくことへの決意表明の場であるということだ。自分を育んでくれた豊かな音楽の歴史を継承し、少しでも前に進めるために努めること。いまここではないどこかを目指して彷徨うのではなく、いまここから、未来へと歩みだすこと。そんなことへの静かな決意に満ちている。同時に『Shore』は死についてのレコードでもある。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっている現状やサーフィン中に溺れかけた体験、デヴィット・バーマンの自殺といった出来事を通してペックノールドが目指したのは、死に向き合いながら生を祝福することだという。リリースの際に公式発表されたステイトメントから引用してみよう。

 

I WANTED TO MAKE AN ALBUM THAT CELEBRATED LIFE IN THE FACE OF DEATH, HONORING OUR LOST MUSICAL HEROES EXPLICITLY IN THE LYRICS AND CARRYING THEM WITH ME MUSICALLY, COMMITTING TO LIVING FULLY AND VIBRANTLY IN A WAY THEY NO LONGER CAN, IN A WAY THEY MAYBE COULDN’T EVEN WHEN THEY WERE WITH US, DESPITE THE JOY THEY BROUGHT TO SO MANY.

死に向き合いながら生命を祝福するアルバムを作りたかった。はっきりリリックの中で失われたヒーローを讃え、音楽的にも彼らを自分の中に留めて。彼らにはもう叶わない、充実して、活気に満ちた生を全うする。彼らが、大きな喜びをもたらしてくれたにも関わらず、我々といた時には出来なかったやり方で。

  I WANTED TO MAKE AN ALBUM THAT FELT LIKE A RELIEF, LIKE YOUR TOES FINALLY TOUCHING SAND AFTER BEING CAUGHT IN A RIP CURRENT. I WANTED THE ALBUM TO EXIST IN A LIMINAL SPACE OUTSIDE OF TIME, INHABITING BOTH THE FUTURE AND THE PAST, ACCESSING SOMETHING SPIRITUAL OR PERSONAL THAT IS UNTOUCHABLE BY WHATEVER THE STATE OF THE WORLD MAY BE AT A GIVEN MOMENT, WHATEVER OUR SEASON.

離岸流に捕まったあと、やっと足先で砂に触れた時のような、安堵を感じられるアルバムにしたかった。時間の外側の、過渡的な空間に存在していて、未来と過去の両方に根ざしたアルバムに。精神的、もしくは身体的な、ある時点での世界の情勢や我々の時節がどうだろうと手の届かないものに接近したかったんだ。

 

今やシグネイチャーとなった突き抜けるようなリヴァーブ処理の施された折り重なるコーラスワーク、控えめな金物とふくよかに跳ねるスネアドラムなどのサウンドにおける基盤はそのままに、後半に多く散りばめられたオリエンタリズム的意匠やさらに表現の幅を広げた本人のボーカリゼーションといった点で音楽的探究の成果は結実していると言っていいだろう。そして「Going-to-the-Sun Road」でブラジル人ミュージシャンがポルトガル語による歌唱で参加していることを例に挙げるまでもなく、新旧世界中の音楽がとても理解しきれないほどハイコンテクストに、そして鮮やかに交錯している。しかし「鍵となる教えや概念だけを取り出し、違う形に応用する」と語っているように、単にひけらかすことは決してしない。パンデミックとそれに継ぐロックダウンという最も2020年的な出来事をきっかけに完成されたのは、皮肉にも時代性の外側で穏やかに佇むようなレコードだった。ペックノールドは、歩みを止めない。

 

Shore

Shore

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